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2010年7月16日 (金)

存在としての大きさ

非常に緩やかでは有りますが、

状態は徐々に快方へ向かって居ます。

しかし、此の喪失感は暫くは癒え無いんでしょうね。

今は鬱病を患っているからかも知れませんが、

曾祖母や母方の祖父が亡くなった時よりも寧ろ

つかこうへいさんが亡くなられた事の方が喪失感は大きく感じます。

今にして思えば、おぃらにとってつかこうへいさんは

崇拝の対象で在ったのかも知れません。

いつかマラドーが亡くなる日が来たら、

アルヘンティーナも同じ様な喪失感を味わうのかな──。

ふ、とそんな事が頭を過りました。

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